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令和5年度 学長 学位記授与式告辞

 学士課程を了えられた皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、修士課程を了えられた皆さん、ご修了おめでとうございます。本日ここに、めでたく学士、あるいは修士となられましたことを、心よりお祝い申し上げます。
 まず、卒業生の皆さんに、申し上げたいと思います。
 皆さんが入学された2020年4月、それまで知られていなかった型のウイルスによるパンデミックが、猖獗をきわめました。当時まだ、ウイルスの実体も、感染後の経過も、予防治療手段も、生命予後も明らかでありませんでした。2類感染症に分類され、患者と濃厚接触者には隔離、健常者に対しても種々の制限が課せられるところとなりました。「新型コロナウイルス感染症」と名付けられたこの疾患は、望まざる死、看取られない死を来たし、偏見や差別など深刻な社会問題も招きました。中世的な無常感さえ漂うかの日々でした。生死をどう考えるかの人生観、死生観が問い直されている、そういう思いを、少なからぬ人が抱いたと思います。
 そんな中、皆さんは、入学したばかりというのに、たった3日間の対面授業を受けただけで、以後長きにわたるオンライン授業を、余儀なくされました。課外活動も行えない状態がつづきました。夏休みが近づき、大学生活への不安をかかえたまま,あるいは,望んでいたほどの人間関係を築けぬまま,帰省せざるをえない、そういう人たちが少なくないのではないか、と考えられました。そこで、私は、「公立小松大学1年生の皆さんへ」と題した手紙を皆さんに送りました。
 4年が経過し、母校を巣立とうとする今日、手紙中の一節を改めて贈りたい、と思います:

 「皆さんには,自信と希望を培ってほしい。自信とは,自分はベストを尽くすと信じること、希望とは,やや大げさな表現かもしれませんが,死んでも終わりでないこと、と思います。」

 この出典を申しますと、自信ということについては、医化学者、フリードリッヒ・ミーシャ、死については、哲学者、森一郎でした。森先生は、少子高齢化が急激に進み、<死んだら終わり>という風潮が強い韓国から依頼され、「死んだら終わりか?」というアンチテーゼ的な論文を寄稿されていました。
 私は今も、死んでも終わりでない、そういえる人生を皆さんに送ってほしい、と思っています。有形無形のモノ、技術、論文や本、作品を残すなら、終わりではありません。弟子や教え子を育てたり、子や孫が生まれるなら、終わりでありません。個体の生は有限ですが,次の代に伝わる何かを残し、未来につながってゆく。そういう人生を皆さん一人ひとりが歩んでほしい、と希っています。
 君たちなら、きっとできます。2020年10月、コロナ禍にもかかわらず、皆さんが大学祭を決行したことには、感銘を受けました。「新型コロナウイルス感染症を考える」という、COVIDに真っ向から取り組んだ学術企画もありましたね。

 つぎに、修了生の皆さんに、申し上げます。
 皆さんは、大学院サステイナブルシステム科学研究科修士課程の栄えある1期生として入学されました。どの専攻でも募集人員以上の入学者を得、つづく2期生によっても入学者定員が充足されました。この実績にも支えられ、本年4月、博士後期課程もスタートします。
 ここに来て、今年1月1日、能登半島地震がこの地方を襲いました。サステイナブルシステム科学研究科が擁する3つの専攻は、震災対応・復興に貢献しうるポテンシャルをもっています。生産システム科学は、防災やバリューチェーン構築に、ヘルスケアシステム科学は、医療と健康支援に、グローカル文化学は、地域文化・観光資源の保存・活用に、寄与できようかと思います。地域・国際社会のレジリエンスと持続可能性に資する、修士の皆さんのご活躍を期待したいと思います。

 こまつから未来へ!これは、開学以来変わらぬ本学のキャッチコピーです。本学での学びが、卒業・修了される皆さんの新しい自己実現につながるよう祈念し、告辞といたします。  


令和六年三月二十三日
公立小松大学 学長 山本 博